多様性を認める社会は実現するか?均質な能力特徴を求めるシステム

性格心理学を学ぶ1つの目的

それは多様性を認める社会を目指すこと

にあると思います。

本来、多様性のある人間が
うまく共生して行くために

自分を知り、相手を知り、
自分の特性を生かし、相手を受け入れる

非常に重要な考え方だと思います。

では、我々の生きる社会の動きとして、

多様性を認める方向に我々は
しっかりと進んでいるのでしょうか。

例えば、

大学の入試試験のことを考えてみましょう。

最近の論調では、少しずつ
学力試験だけでは多様な学生を確保できないから
面接試験を加えるべきだ、

という意見が受け入れられるなど、
入試に関する考え方も変わってきています。

が、
面接を加えるだけで本当に
多様な学生が確保できるでしょうか。

一番「多様な学生」を確保する方法は、

「試験を辞めること」でしょう。

ハードルを一切設けず、願書を出した
学生を全員入学させるか、

志願者が多くなればくじ引きで
入学者を決める、

これが最も多様な個性を持った
学生を入学させる方法でしょう。

しかし、、

これが実現する可能性は
今のところかなり低いでしょう。

ただここで考えて欲しいのが、

学力試験を行うということは、
少なくとも学力によって入学者を選抜する
ということを意味します。

つまり、

入学してきた学生は、

学力という観点のフィルターで
選ばれた人のみということで、

多様性には欠けているのです。

ではここに面接試験を組み合わせれば
どうなるでしょうか。

ただでさえ学力によって
個性が均質になっている集団から、

さらに面接によって、面接官が
何らかの基準に基づいて選抜を行う
ことになるのですから、

多様性は増すよりむしろ
減少する可能性の方が高そうです。

当初の目的が入学者の多様性の確保のため
面接を加えているのに、

そのために行った入試改革の結果
多様性を失ってしまうのは、
皮肉なパラドックスとなってしまいます。

入試だけでなく就職試験でも
似たようなことが起こっています。

筆記試験や学力試験、面接試験と
複数の試験を組み合わせて選抜していけば行くほど、

選ばれた人々の能力や個性はより
均質な特徴を持つことになります。

これが、1次、2次、3次・・・
と回数を重ねていけば、

それぞれの関門語を通過するごとに
フィルターがかけられ、

残った人々の特徴は
より均質なものになってしまいます。

もし選抜の目的が、

「多様な人材の確保を求める」

のであれば、この結果は
目的にそぐわなくなります。

そもそもこれは、

「筆記試験や面接がちゃんと機能している」

という条件が必要です。

結果的に合格者が、まとまりなく
バラバラな印象の集団であれば、

試験そのものが適切に機能
していないことを意味するからです。

こうして、

受け入れる側は「一定の条件、価値観」で
フィルターをかけ選抜せざるを得なくなり、

求められる側は、その条件、価値観を
分析し、対策を練り、そこに合わせようとする。

つまり、

今の社会は、多様性を認め、受け入れる
よりむしろ均質的な能力を生み出すような
仕組みが存在するのです。

いずれにせよ、

「人を選抜する」ことがどんな意味を持ち
どんな結果をもたらすのか、

考えて行くことは重要でしょう。

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