陰と陽の絶妙なバランス、中庸にこそ幸福・成功の道がある


前回の最後に出た言葉、

「バランス」という言葉を聞き
私の頭にふっと浮かぶのが、

やはり、

老子の説いた「タオ」という言葉です。

老子は宇宙の根源、この世の万物の
生みの親である「道」を解説した

と言われています。

「道」は中国語で「タオ(TAO)」

と読みます。

だから道教、道家の思想を
タオイズム(TAOISM)と言います。

老子が語るには、

「道」がこの世の万物の生みの親であり、
この世を動かしているエネルギーの根源、

だからこの世の物事で「道」の
関与がないものはない、

それならばつまり…

そのすべての大本である

道(タオ)に従い生きる、

「道」の説く生き方、行い方こそが
最も道理にかなっているはずである。

つまり、

この世の最善善良の理を教えだから、
そのように生き、そのように行う事こそ、
最もよりよく生きることになるのだ。

これが老子の基本的な考え方です。

「道のありようを、自己のありようとする」

これが老子の伝えた成功法則なのです。

その生き方こそつまり、

陰と陽の絶妙なバランスの取れた、
中庸にこそ幸福・成功の道がある

という事だと私は考えています。

この点をもう少し考えてみましょう。

成功の基準とはどこから来る?


私たちの価値の判断基準は
実にあいまいなものです。

成功法則を学び、

「成功しお金持ちになりたい!」

と思ったとします。

しかしそもそも、

お金持ちとは何でしょうか?

「年収1000万になりたい!」

という夢や目標をよく聞きますが、

平均年収が5000万円の国があれば、
年収1000万円では貧乏でしょうし、

年収100万円の国があれば、
相当のお金持ちとなるでしょう。

つまり、

TPO、時と場所と状況が変われば
すべて変わってしまう事。

これは私たちが成功を目指すうえで
押さえておかなければいけない事です。

恐らく収入額を平均より頭1つ
抜けたいという思いがあるのでしょうが、

額にとらわれると盲点が生まれます。

お金も成功も幸せも実に
抽象的で相対的な概念です。

さらにもう少し絶対的に
思える基準であっても、

例えば、

「暑い」という概念があって初めて
「寒い」という概念も生まれるものです。

温度というのは物質の
エネルギー反応ですから、

温度そのものには暑いも寒いもありません。

前日より温度が低いから寒く感じる。

前日の温度という基準がなければ
寒いのかどうか分からないのです。

気温が氷点下5度なら寒そうですし、
気温が35度なら暑そうと感じるでしょうが、

それはあくまで
基準があってのことです。

空気に暑い寒いも本来はないのです。

そもそも特に古代の人にとって、

目で見えない空気の存在を知る事など
簡単な事ではありませんでした。

でもコップを逆さにして水に沈めると。。

そこには確実に「何か」が存在するのです。

つまり、

水の存在によって空気の存在を
知ることができるのです。

陰だけでは成り立ちません。

陽だけでも成り立ちません。

良い事と思ってやってきたものが
突然悪い事に変わる事もあります。

ある人にとても良い人は
ある人にとても悪い人になります。

そうです。

物事の価値は絶対ではないのです。

何かと比較をして見えるものです。

そしてビジネスで世に価値を生み出すために
この視点の柔軟性を持つことは重要です。

一方的な視線で物事を見ると、
必ずしっぺ返しを食らうのです。

陰と陽のどちら側からも見る

華僑であれユダヤであれ、

成功者はこのあたりの視点の切り替えが
非常に柔軟であり多角的です。

常にバランスの良い考え方をしようとします。

同じ神のもと争いが起きる?


新しい視点が加わることで
見える世界が変わってきます。

例えば、

宗教について考えてみましょう。

古代の宗教はすべて多神教である
ことが当然でした。

一神教というのは古代エジプトの
アクエンアテンというファラオが
始めたと言われています。

それ以前の世界では多神教が空気や水
のように自然な存在だったのでしょう。

エジプトで捕えられていたユダヤ人は
こうした思想を受け継ぎ、

「ヤハウェ」という唯一の神を
あがめるユダヤ教を始めます。

そしてユダヤ教徒の1人であった
ナザレのジーザス、イエス・キリストを
慕う人々によりキリスト教が始まります。

またその流れを受け継いだモハメッド
によりイスラム教が始まります。

現代日本社会でニュースなどを見る限り
これら宗教間の対立がひどく、

お互い考え方がまるで違い、常に
憎しみ合っているのだろうと
想像してしまいます。

しかし意外と知られていないのは、

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、

崇める神はすべて同じなのです。

その呼び方が違うだけなのです。

(ユダヤではヤハウェ、
キリストではゴッド、
イスラムはアッラー、)

同じ神を崇めているのに、

その解釈や見る視点が違うだけで
お互いに殺しあったり憎しみ合う

というのは悲しい現実です。

しかし、

キリスト教やイスラム教が
登場したからこそ、

ユダヤ教というものの特質が
明らかになったのも事実です。

さらに時代が現代に近づけば、

同じキリスト教の中でも
プロテスタントが登場し、

カトリックの特徴がよく理解
できるようになりました。

イスラム教でも、シーア派が
存在することでスンニ派のことが
よく分かるようになります。

比較する対象が存在することで
物事の本質が明らかになるのは、

宗教だけでなく神羅万象の
あらゆる物事の関係するのです。

目の前のことだけに目を奪われると


タオの思想をビジネスの
事例で考えてみましょう。

物事を理解するのに重要なのは、
目の前で起こっている事ではありません。

大局の中での位置を把握する
ことがとても大切なのです。

目の前の1つのことしか知らなければ
全体像、大局観など持ちようがありません。

比較によって物事の本質を掴む
ことなどできません。

もちろんビジネスにおける
現場の重要性というのは無視できません。

しかし、

それでも現場はあくまで目の前である
という事を忘れてはいけないのです。

目に前のことに集中し改善しても

対局が大きく変化し目の前の事が
消えてなくなってしまうのは、

ビジネスの世界ではよくあることです。

携帯電話のガラケーがスマホに地位を奪われ、

アップルがインテルやマイクロソフトの
地位を脅かしました。

そしてアップルも…

こうしたやり取りは未来も続くのです。

「他者の出現によって本質が明らかになる」

他社が存在しないような独占状態でも
常に物事の本質を見る努力をし、
警戒を怠ってはいけないのです。

中国、東洋の思想では、

陰と陽の思想、すなわち陰と陽の
対比が非常に重視されるのですが、

陰を知って初めて陽が理解されるのです。

さらに言えば、この「陰と陽」が
2つセットになって世界を支えるのです。

この法則は最近の物理学、宇宙論
でも見いだせます。

物質に対して同じ量の反物質が存在する。

少なくともこれはビックバンの瞬間
には存在していた、

という事なのだそうです。

宇宙の存在するすべてには陰と陽のように
対となる存在があるという事です。

中庸の道こそ成功、幸福の道


そして陰と陽のどちらが正解で
どちらが間違いというのもありません。
 
真の正解は、

「陰と陽のバランス」

の中にあるのです。

陰陽どちらかに極端に傾いた意見や事柄は
分かりやすいですし、印象にも残ります。

こうしたある種の偏った絶対的な基準は、

偏差値、テストの点数、罰則の数値化、
多数決の決定、給料によるステータス

など、社会の仕組みの
あらゆる部分に見いだせます。

が、

でもそれは決して真の正解ではない、

これは強く意識づける必要があるでしょう。

ここを忘れると…

成功そして幸福の罠に陥ります。

良かれと思って進んでいた道が
突如として地獄に変わるのです。

陰と陽のバランスが崩れると
一気にひっくり返るのです。

そしてこのバランスは、
仏陀が説いたとされる仏教における
中庸という言葉でも言い表せる事でしょう。

中庸(ちゅうよう)とはすなわち、
どちらかに極端に偏ることなく、

究極のバランスを維持すること
これが真の正解という事です。

そして中庸に生きることが
楽ではないのも真実です。

むしろ偏って妄信的に1つを信じる
ことのほうがはるかに楽なのでしょう。

中庸を維持することは、

平均台の上を歩くようなもので
簡単にできる事ではありません。

またどのあたりが中庸なのか、
数値や言葉で言い表す事もできないのです。

老子も名前を付けることができない
中庸の中にタオが存在するとも言えます。

しかし、

勉強、実践、鍛錬を積むほど、
この感覚も研ぎ澄まされます。

例えば、

体操選手が平均台の上を軽々と
橋抜けたりそのうえでジャンプできたり、

マスターするまで遠い道のりのようで
実は成功の最短コースも

陰と陽の絶妙なバランス=中庸

を維持することなのです。

そして何より、

陰と陽のどちらかに極端に偏らない

この中庸という道は私たち日本人こそが
実は得意分野なのかもしれません。

これからユダヤ、華僑と彼らの特徴
成功法則のエッセンスを伝えていきます。

しかし、

彼らのやり方が唯一絶対の法則ではないです。

ただ、

彼らのやり方を学ぶ事に意義があります。

これらの情報はあなたの知識に加わり、

比較する事によりバランスをとる
1つのきっかけになると思うのです。

これから紹介する事には矛盾も
たくさんある事でしょう。

正解も間違いもよく分かりません。

私の歪んだ解釈が多分に入っているはずです。

しかし、

バランスという名のもとに
1つの解釈を加えたならば…

そのすべてがこれからのあなたの
成功の幸福の材料にできるはずです。

ぜひオープンマインドで受け入れて
読み進めていただければ幸いです。

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