老子に学ぶビジネスと投資の極意、華僑の成功メンタル

ある世界的金融機関で働き、

その後独立、

いわゆる経済的成功者と呼ばれる
ステータスを若くして手に入れ、

バブル崩壊、アジア通貨危機、
リーマンショックなど様々な
難関もくぐり抜けてきた

ある華僑成功者に成功の極意
として教わったことがあります。

「投資やビジネスを成功させたければ、
もちろん”技術や理論も”大事だ。

しかし、

それ以上に精神力が最も重要」

との事でした。

「投資やビジネスはメンタルスポーツと同じ」

という言葉が印象的です。

メンタルスポーツといえば、、

思いつくのがゴルフでしょう。

「止まっているボールを打つだけの
簡単なスポーツである」

そんなゴルフですが、

シンプルながら思い通りにいかない、
そこに魅了される人は多いです。

だからこそゴルフの上達のため、
道を追求する鍛錬や努力を重ねます。

止まっているだけのボールを打つ
自分の体をコントロールすること

そこにエネルギーを注ぐのです。

どれほど優れたプレーヤーであっても
大事な局面でミスショットして
精神的に動揺すれば、

無残なスコアをたたいてしまうのです。

ではそんなメンタルスポーツの代表
ゴルフと投資の共通点は何でしょう?

例えばメンタルが未熟な場合、

「これから価格が上がるはず!」

と信じて買った株の銘柄があるとします。

でもちょっと悪いニュースが出て
価格が下がってしまうと、
すぐ動揺して損切りをする、

しかし後から振り返れば、

その損切りしたポイントが底値で、
その後価格が急上昇して

あのまま保有しておけば、

と地団太を踏んでも後の祭り。。

またよく言われる投資格言
「他人が売る時に買う」

強い精神力がなければいけません。

他人の意見に逆らって
自分が正しいと思う道を歩みのは
決して簡単なことではないのです。

さらに言えば、

過去の相場のチャートを眺め、

「ここの安値のポイントで買い、
あそこの高値で売ればもうかるじゃん

俺も投資の天才化も、億万長者間違いなし」

そんなことをいうのは小学生でもできます。

投資という行為も作業だけ見れば、
買って売るだけです、

まさに投資というのは
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「止まっているボールを打つだけ」

のように見えてしまうのです。
ゴルフもはたから見れば
簡単に見えます。

ところが、未来のこととなると
誰しもが皆目見当がつかないのです。

未来は過去の延長でも、
現在の延長でもないからです。

未来という暗闇を孤独に進み、

世の中の大勢と違う道を選ぶとき、
大きな恐怖が襲ってきます。

しかし、

その恐怖感を克服し、己を信じて道を進んだとき、

大きな成功という果実を手に入れられる、

まさにメンタルこそが成否を分けるのです。

そして投資と同じくビジネスも、
恐怖に打ち勝たねばならないメンタルが
ものを言う世界です。

経営と戦争は似たようなものです。

先の見えない混沌とした状況の中で
決断を下し勝ち続けなければならない、

戦争、とビジネスに共通した要素です。

他人がやらないことも逆境の中でやり遂げる、

そうして初めて大きな成功を収められるのです、

ビジネスでも投資でも、

同じく答え正解がわからない中で
迅速な決断が求められるのです。

端的に言えば、

戦争でも、ビジネスでも、投資でも

勝利するために最重要課題は
決断と言えます。

さて冒頭に挙げた、華僑成功者が
こっそり教えてくれた、

成功のために教科書にすべき
古典こそが、「老子」でした。

最高の決断に必要なメンタルを涵養する。

精神力を高めるのに格好のテキストという事です。

日本でも誰しもが名前くらいは
聞いたことがある人物でしょう。

老子という呼称はもちろん
人物の名前としても使用されますが、

その老子の言葉をまとめた書物が

「老子」または「老子道徳経」

と呼ばれます。

全部で八一章にまとめられた、
たった五〇〇〇文字ほどの非常に短い書物です。

原稿用紙にすれば12枚ほどにまとめられます。

しかしその中に…

「成功の人生のすべてが凝縮されている」

と教えてもらいました。

そして、

まさに老子は世界中の華僑に
篤く信仰される道教の神様なのです。

華僑の集まるところには必ず
道教寺院が立てられます。

ユダヤ人の集まるところに
必ずシナゴーグができるのと似たものでしょう。

客家、華僑の人々の成功の裏には
道教、老子が深くかかわっています。

こサイトのテーマでも、随時、

こうした老子と成功法則の関わりを
引用して伝えていきたいと思います。

史実として非常に謎の多い人物です。

しかし、その言葉に深い真理があることは事実です。

書物としての老子、老子道徳経は
こうして生まれたと以下のように伝えられています。

老子が晩年(紀元前六〇〇年頃)
周の国西方の国境を青い牛にまたがり超えようとしていました。

その労使のただならぬ徳の高さを直観で感じた
尹喜(いんき)という役人が

老子にひざまずき教えを請いました。

老子は「私は弟子など取ったことは無い」
と再三断るのですが、

とうとう尹喜の熱意に根負けし、
その関所にしばらくの間とどまり

その時の老子の言葉を
尹喜が書き取ったものこそ、

老子道徳経全八一章ということです。

そしてなにより興味深いのが…

老子と儒教の教えの相反する部分です。

古典を重視する華僑は、
良く儒教を引用します。

まさに…

華僑の2つ同時に考える考え方

タオの生き方といえるかもしれません。

そしてその哲学を
バランスの良い性向ができるでしょう。

どう生かすかはあなたの解釈次第とも言えます。

中国を中心にアジア文化圏では、

為政者が社会秩序を維持するための

支配者のための法則を孔子、儒教が説き、

それに対し、人々が自由にのびのび
生きるための庶民のための法則を

タオ、老子の道教が伝えてきたのです。

同じ中国古典思想でも、

儒家と道家では考え方が全く違うのです。

儒教の名著論語では、

このまま今の状態を継続し、
長期的に安定した状態を保ち続けたいとき、

最も良いガイドとして役立つ書物とされます。

なぜなら論語は社会の中にいながら
社会を見ているからです。

例えば、

より良い人間関係を築く際の
注意点などを教えてくれます。

一方で老子は

社会の外から社会を見ています。

つまり、

宇宙からこの地上を眺めるような視点で
語られているのが特徴です。

だからこそかなり客観的に
全体や我々人間、この人間社会を見るので、

それだけ本質をついているのです。

少し乱暴に言えば、

表の綺麗ごとの成功法則を儒教が担い、
汚い裏側の成功法則を道教が担う

と言えるかもしれません。

いずれにせよ、陰と陽どちらも
大切

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