イスラエル・モサドのスパイに学ぶユダヤ人の粘り強く考える特徴


スパイ、エージェントが活躍するのは
映画の世界だけではありません。

各国のパワーバランスのカギを握るのが
諜報機関の力量にかかっています。

特に情報化社会と言われる
現代ではそれが顕著になります。

そんな中、CIAやMI6を抑え
世界最強の諜報機関とまで言われる

イスラエル・モサド

この機関、スパイからユダヤ人の
粘り強く考える特徴を学べます。

イスラエルが建国されたのは
1948年でわずか建国後60年余り、

世界中に散らばっていたユダヤ人が
2000年前に住んでいた場所に戻る…

時代を超えたその忍耐力や
その粘り強い実行力は驚きです。

(正しいかどうかの問題は置いておき)

諦めさえしなければ、たとえ
些細な進捗でも設定した偉大な目標に
やがてたどり着くことができる。

私のビジネスの師匠は、

「成功に必要なのは粘り強さだ」

と常に言っています。

成功法則の父とも言われる
アンドリュー・カーネギーも

「成功するには、成功するまで
決して諦めないことだ。」

という名言を残していますが、

確かに目標を定めて、そこに
向かって愚直に進み続けるのが、
成功のための条件だと言えます。

また周囲を敵に包囲された
イスラエルにとって

国の存続を守るには、敵の動きを
いち早く正確に察知する事が
何よりも必要です。

つまり、

敵の情報獲得が国防の一大事なのです。

不可能はないと考えるユダヤ人


世界最強のイスラエルの諜報機関
モサドのある長官はこう言いました。

「世の中に実行不可能な任務はなく、

目の前の脅威をどうしても制圧
できないなどと政府に報告する事は
決して許されない。

それがモサド発足以来
変わらぬ基本信条なのだ」

と述べています。

前例がない事はやらない」

というのが一般的な
日本人の公務員ですが、

それに対して、

不可能はないと考え、
粘り強く考えるユダヤ人、

どうしてこれほど違うのでしょうか。

その理由の1つは、イスラエルと
日本の状況が全く違う事でしょう。

例えばイランの大統領は、

「イスラエルを地図上から抹殺する」

という公約をしており、

近隣諸国には常に緊張感があります。

一方で日本は、

もちろん様々な問題があるものの、
世界的に見れば平和ボケしていると
言っていいでしょう。

日本で諜報活動が活躍しないのは
ある意味良い事かもしれません。

日本のような安全で平和な場所に
住んでいられる事は、

本当に感謝しなくてはいけません。

モサドを有名にしたアイヒマン事件


イスラエルの諜報機関モサドは
1951年に設立されました。

正規の人員は約200人ですが、
カッツァと呼ばれるおびただしい数の
協力者が世界中にいるそうです。

その結果、

アメリカのCIA
イギリスのMI6
旧ソ連のKGB

と肩を並べる世界最強と呼ばれる
諜報機関へと成長したのです。

モサドのオペレーションは様々あり、

有名なのが、1960年のナチス戦犯の
アドルフ・アイヒマンの生け捕りです。

アイヒマンはアウシュビッツ
「ユダヤ人問題の最終解決(虐殺)」
を考案し、

600万人のユダヤ人を虐殺した
張本人とされている人物です。

第二次大戦後、アイヒマンは逃亡し、
アルゼンチンのブエノスアイレスに
偽名で用心深く住んでいました。

モサドは、アイヒマンを無傷で
イスラエルに連れてくる任務を受け
ミッションを遂行します。

裁判において彼を処罰するという事を
世界に知らせる必要があったからです。

暗殺ミッションであったなら
より容易だったはずでしょう。

射殺であればそれほど困難でない
任務も生きたまま国境を超えて
連れて帰るのは困難です。

粘り強い思考がモサドの持つ特徴


では、

捕えたアイヒマンをどうやって
パスポートコントロールに通したのか、

麻酔を打たれて一時的に
昏睡状態で会ったアイヒマンに

イスラエルの航空会社である
エル・アル航空制服を着させ、

制服には大量のウィスキーを
染み込ませました。

やはり同じように制服を着たモサドの
エージェントたちが呼びの乗務員として

「酔っ払って寝てしまった同僚」
を抱えてパスポートコントロールを
抜けたのでした。

このミッションは聖なる任務だったと
指揮官は後に語っています。

なぜならアイヒマンを犠牲者たちの
前に立たせ裁判にかけるために

無傷のままイスラエルに連れ帰るのは
全ユダヤ人を代表するミッション
だったからです。

モサドのエージェントたちは
アイヒマンを目の前にして、

殺したい衝動にかられたり、
複雑な思いに駆られたそうです。

アイヒマンはイスラエルで
裁判にかけられ、

死刑を宣告され、
絞首刑に処されました。

これはイスラエル法の下で執行された
唯一の死刑と言われています。

これらモサドのオペレーション成功も、

不可能はないという考え、粘り強い
実行力によってもたらされたのです。

最強のスパイ、エリ・コーエン


またこんな事例もあります。

第三次中東戦争でのイスラエル軍の
電撃的勝利を可能にした背景には

正確無比な砲座や戦車、シナイ半島の
エジプト空軍基地に配備された戦闘機、

これら1つ1つの位置を入念に
調べ上げた事にあると言われています。

こうした作業の立役者となったのが

イスラエル・モサド最高のスパイ

エリ・コーエン

です。

彼は開戦の4年前からシリアに入国し、
政界、軍部要人の信頼を得ていきます。

彼はシリア系ユダヤの出自だったため、

アラビア語やシリアの
情勢に詳しかったのです。

世界各国から帰還したユダヤ人
移民で形成されるイスラエルは

実は各国の言葉、事情に通じた有望な
スパイ人材の宝庫でもあった訳です。

コーエンは、シリア軍参謀総長を
伯父に持つ大佐とも仲良くなり

プレゼントや女性の斡旋など
様々な人心掌握の策略を使い

シリア軍の重要地であるゴラン高原
への出入りもフリーパスとなります。

さらにシリア軍にアドバイスをし

「ユーカリの木は日陰になるし、
敵の目を欺く隠れ蓑にもなる」

というコーエンの助言を真に受け、

シリア軍はゴラン高原の各陣地に
ユーカリの植林を行います。

実はスパイ・コーエンの策略で
それを目印にしてイスラエル空軍は
ピンポイント空爆を仕掛けました。

優秀なスパイは
一個師団の兵力に匹敵する

と言われますが、

まさにコーエンの事だったのです。

こうしたイスラエル・モサドの
スパイの事例からユダヤ人の粘り強く
考える特徴がよく見えます。

平和な国に住む私たちもここから何かを
学ばないといけないのかもしれません。

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