高度なコミュニケーション能力、技術も世代により向上するか?

様々な技術や能力、社会と同じように、

社会で必要とされる
コミュニケーション能力や
主体性も高い技術が求められる
ようになってきているのでしょうか。

果たして、そのような
時代の変化は生じているのでしょうか。

また、社会で高度なコミュニケーション技術や
主体的な行動が必要とされているがために、

就職の際にそれらが求めらるのでしょうか。

もしそうであれば、

知能検査の結果の上昇や
暴力の減少のように、

コミュニケーション能力も
人々の能力、技術も徐々に
向上していくのでしょうか。

これを実証するのは難しい課題です。

その通りだという人もいれば、
そうではないという人もいそうです。

ただ、もちろん、

これからの時代は、昔よりも
高度なコミュニケーション能力が
必要な場面はありそうです。

例えば、

状況を認識して、言外の相手の心の内を推測し、
関係を壊さないように適切な行動を選択する
「空気を読む」と表現されるような行動です。

そこでは非常に高度な
コミュニケーション技術が必要とされます。

しかし一方で、そのような
空気を読むような関係性を息苦しく感じ、
うまく適応できない人もいます。

高度な技術が必要になれば、
平均的な技術のレベルの上昇は
期待されますが、

その技術を身につけることの
困難度が増していきます。

するとそこから脱落する人も増えていくでしょう。

そこで課題となるのが、
社会の多様性なのです。

多様性の欠如とは、

社会において何か特定の条件を満たさないと
「この人は全てがダメだ」
という認識が広がることです。

一昔前の学歴社会であれば、

学力が低い=ダメなやつ

とされるようなものです。

例えば空気を読む能力が
条件となれば、

空気を読めない人=ダメなやつ

となってしまいます。

多様性を認める社会とは、

例え空気を読むことが苦手であっても
別の特性、技術、能力が発揮されれば、
イキイキと生活できる社会です。

特定の心理特性だけを絶対視する
ようなことがない社会です。

多様性を認めるということは、
つまり「多くを許容する」事でもあります。

そしてそれは、
「考える余地を残しておく」
事でもあります。

ビッグファイブでいえば、

外向性が高い、
開放性が高い、
精神安定性が高い、
開放性が高い、
協調性が高い、
勤勉性が高い

この方が良いことのように思えます。

でもそれが良いことに思えるのは、
そのような特性を備えている人が
適応できる場所が社会に数多く
存在しているからです。

しかし、世の中には
これらの特性を備えていない人もいます。

無理にそのような心理特性を備えようとしなくても、

誰もが適応する場所がどこかにある。

このような社会の懐の深さを保つことで、
私たちはうまく共生していけるのではないでしょうか。

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