性格は痛みから守るサポートにもなり、成長の邪魔にもなる

心理学では、

成熟し、優れた人格の
大人として機能するかどうかは、

成長するために必要な
特定の欲求が、

幼少期においてどれだけよく
満たされたかによってほぼ決まる
と考えられています。

適切に満たされなかった欲求は、
欠陥部分となってしまい、

私たちは自らの本質としての
全体的存在を体験しにくくなります。

スピリチュアル的に言えば、

私たちの性格は、成長過程において
こうした欠落部分を補うために形成された、
というところでしょうか。

つまり性格というのは、
ギプスのようなものなのです。

骨折した腕や足を守るものです。

その下の傷が酷ければ酷い程、
ギプスは大きなものでなければいけません。

もちろんギプスは、
手足の傷が癒えて、その完全な機能を
回復するために必要です。

ただ、治ったのであれば
ギプスは外さなければ、

手足を使うことが非常に制限され、
それ以上成長することができなくなります。

人によっては、全身ギプスに
等しい性格を発達させる必要があります。

誰もが子供時代を卒業するには、
ある程度痛みを隠し、心を閉ざし、
さらなる傷から異聞を守る必要があったのです。

一時的なギプスとしてみた場合、

性格は極めて役に立つ、
とても必要なものです。

なぜならそれは、私たちが
もっとも弱く、心の傷が最大であるところに
もっとも強力に発達したからです。

したがって性格というものは、

心理的に存在するための助けに
なってくれただけでなく、

成長のための取り組みがどこで
一番必要かを指し示してくれるのです。

ただし性格の大部分は、

条件付けられた反応や恐れ、
信念の寄せ集めにすぎず、

本当に深い意味での自分ではないのです。

したがって、性格との一体化、同一化は、
深い自己放棄に終わります。

私たちのアイデンティティは本質を離れ、
発達せざるを得なかった
防衛の殻にシフトしてしまいました。

「自分の性格=自分だ」

と信じる限り、性格に
一体化、同一化し続けます。

私たちが変化に抵抗する
主な理由の1つは、

本質へ戻ろうとすると、
必ず自己放棄したいた意味を感じるということです。

本来の自分でいたい、
真実に生きたい

という気があれば、
自分を回復するプロセスはすでに
始まっているのです。

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