スファラディ、アシュケナージ、ミズラヒと分類できるユダヤ人 


今回のテーマは、

スファラディ、アシュケナージ、
ミズラヒと分類できるユダヤ人 

について紹介します。

世界のユダヤ人口は、

スファラディ(イベリア半島系)、
アシュケナージ(中欧、東欧系)、
ミズラヒ(中東、北アフリカ系)

の3系統に分類されます。

祖国を失ったユダヤ人は、
移住を余儀なくされ、

「離散(ディアスポラ)」

の状態におかれるのですが、

かつてのユダヤ社会のような
神殿祭祀を脱し、

ラビの指導により戒律の実践と
聖書やタルムードの研究
中心とする物に変質し、

スファラディ、アシュケナージ、
ミズラヒと、それぞれの
文化的区分が生じるようになるのです。

もともと、現在のイスラエルに
住んでいたユダヤ人の中で、

紀元前1世紀にスペインに
移り住んだ人たちが、

スファラディの先祖であり、

その語源は、ヘブライ語
スペインを意味する

セファラドに由来します。

ヨーロッパでは11世紀末から
十字軍派遣を機に

異教徒討伐の名の下で、
ユダヤ人迫害は激化され、

また職業組合からも
排除されたため、

キリスト教徒に禁止されていた
金融業に従事するようになります。

そして中世を通じ、最大かつ
最も洗練されたユダヤ人社会を
作り上げた彼らも、

1492年、キリスト教による
国土統一を完成したスペインでは、

ユダヤ教徒追放令が発せられ、

スペインからの
追放により地中海世界全域に
離散します。

主な亡命先はオランダや
トルコ帝国でした。

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スファラディ系、アシュケナージ系ユダヤ人 

一部は西半球へ移住し、

コロンブスの第一回航海に
参加した乗組員の3分の1は

新天地に活路を求める
スファラディ系ユダヤ人でした。

東へ向かった人たちは、

バグダッド、シンガポール
香港、上海へ進出、

財閥を築いたサスーン、
カドゥーリはその名家です。

一方、アシュケナージとは

ヘブライ語でドイツを意味しますが、

9~10世紀に大挙して
西欧、中欧へ移住したユダヤ人の子孫です。

イタリアでは16世紀半ばに
ユダヤ教徒を集団隔離する
居住区ゲットーが現れ、

西欧各地に広まります。

ドイツを中心とする
西欧に暮らしていた
アシュケナージ系ユダヤ人は、

彼らは14世紀以降、

黒死病流行の際の
ユダヤ人大虐殺を機に、

ポーランドやウクライナなど
東欧へ拡大し、繁栄するものの、

17世紀半ばのカザークの
反乱などで迫害されます。

19世紀半ば以降は
北米に進出します。

イスラエル建国の中心勢力は
彼らでした。

ミズラヒ系ユダヤ人 

ヘブライ語で「東」を意味する
ミズラヒは、

西はモロッコ、南はイエメン、
東はアフガニスタンに至る中東、

北アフリカに拡散した
ユダヤ人です。

主に中東イスラム世界に
居住しましたが、

それ以外にも、
インド(コーチン)中国(開封)や、

エチオピアのユダヤ人である
ファラシャもミズラヒに
含むとされます。

もともと、イスラム圏に
居住したユダヤ人は、

人頭税を払えば

生命、財産、信仰の
自由が保障され、

法理論上は二級市民
であったものの、

イスラムと同じ神を信仰する
「啓典の民」とみなされ、

散発的な迫害を除けば、
概してムスリムと比較的
平和裏に共生していました。

彼らは11世紀以前には、

世界ユダヤ人口の半分を
占めるほどでしたが、

近世以降は移住先の衰退と
連動する形で、

数的、文化的に劣勢に立たされます。

さらに、イスラエル建国直後に
起こったイスラム諸国の

ユダヤ人迫害が追い討ちをかけ、

1960年代までに87万人の
ミズラヒが故郷を追われ、

そのうち60万人が
イスラエルに亡命します。

今日では、イスラエルを除けば
中東、北アフリカの

ミズラヒ共同体は衰亡に瀕し、

3000人を擁するイランの
共同体を上回るものはありません。

アシュケナージとバザール人

 

今日世界のユダヤ人口の
80%を占める

アシュケナージ系の先祖は、

「パレスチナ→西欧・中欧→東欧」

へと移動して来たユダヤ人ではなく、

ユダヤ教に集団改宗した
コーカサス北部出身の
遊牧民族ハザール人が

西進してきた末裔だと言う
説もあります。

ジャーナリストの
アーサー・ケストラー著

『第13番目の部族』

がその代表ですが、

反ユダヤ勢力による

アシュケナージを

「本当のユダヤ人」

と認めない論説ですが、

パレスチナを領有し
イスラエルを建国した

現代ユダヤ人の権利否定の
根拠として

長い間利用されてきましたが、

真相はどうなのでしょうか?

ユダヤ人の遺伝的均一性

史実に照らせば、

黒海、カスピ海北岸に建国された
ハザール王国では、

8世紀に確かに国王以下の
支配層がユダヤ教に
集団改宗しています。

これは周囲のイスラム、キリスト教の
二大勢力に対抗するためでした。

しかしこの史実から、
上記の仮説を導き出すには、
極めてずさんであり、

例えば、

中世ラビ文学にハザール人に
関する記述が全くないのはなぜか、

ハザール人はトルコ語を話していたのに
なぜアシュケナージ系ユダヤ人は
イディッシュ語を話すのか、

こうしたユダヤ人史学者からの
批判に全く応えられません。

そして今日では歴史遺伝子学の発達より

「ハザール人起源説」は
完全に破綻へと追いやられました。

父系祖先を辿るY染色体と

母系祖先につながる
ミトコンドリアDNA
(デオキシリボ核酸)

ここに含まれる特定遺伝子の
変異を調べ、

現代のアシュケナージ
約1000万人の系譜を辿ると

全員が14世紀のドイツの
ラインラント地方と東欧に
居住していた1500家族に
たどり着くそうです。

ほとんどのアシュケナージは
共同体内で結婚を繰り返してきたため、

それが遺伝的均一性として
現れるのです。

ユダヤ人の血脈は想像以上に
連続がある事が、

この一連の流れ出分かったのです。

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