イスラエル建国の父ベングリオン(初代首相、ケネブ砂漠の開拓)


多くの有名人を排出する中で
20世紀において最も尊敬
されているユダヤ人の一人が、

ダビッド・ベングリオン
初代イスラエル首相です。

初代首相であり、ケネブ砂漠の
開拓をした事で有名ですが、

世界一警備が厳しい空港として知られる
イスラエル最大の国際線空港である

ベン・グリオン国際空港

名前も彼ににちなんでいます。

アメリカで言うジョージワシントン
インドのマハトマガンディーと同じく

ベングリオンは
イスラエル建国の父と言われ
世界中のユダヤ人から敬意を受けています。

2000年に渡って
国を失い世界を流浪してきた
ユダヤ人の歴史の中で、

20世紀に起きた奇跡が
イスラエル国家の建国で

その建国の最大の功労者が
ベングリオンなのです。

だから彼の名前はユダヤ人の
間ではアインシュタインと並ぶ、

それ以上に偉大な働きをした
人物として永遠に記憶されるでしょう。

イスラエル建国を目指したベングリオン

ベングリオンは当時
ロシア領だったポーランドの
プロンスクに1886年に生まれました。

当時東欧に吹き荒れていた
反ユダヤ主義とユダヤ人の虐殺に
衝撃を受け、

彼は熱烈なシオニストとなり、

1906年に建国前の
イスラエルの土地に移り住みました。

当時のイスラエルの土地は
荒れた砂漠でした。

紀元70年にローマ帝国に
ユダヤの国が滅ぼされて以来、

年代を経てそこは十字軍や
いくつものアラブ帝国、

そしてトルコ帝国などの
支配におかれましたが、

その間にすっかり荒れ果てて
しまったのです。

イスラエルの土地に帰還してきた
ユダヤ民族とベングリオンの願いは、

この荒れ果てた土地を開拓し
ユダヤ民族の国を再建する事でした。

ナチスの弾圧によって
ユダヤ人難民がイスラエルの土地に
押し寄せてくると、

当時その土地を委任統治
していたイギリスはそれを
規制し阻もうとしました。

ベングリオンはイギリスと掛け合い、
ユダヤ難民の受け入れに尽力します。

また自衛隊を結成し、

トルンペルドールがつくった
民兵組織などを正規軍としてまとめあげ

アラブ人によるユダヤ人コミュニティへの
襲撃に軍事的に対抗しました。

これが後のイスラエル国防軍になります。

初代首相となった男

そして遂に1947年に
国連がパレスチナ分割案を決議すると

1948年5月14日に
イスラエルの独立を宣言し、

ベングリオンはその初代首相となります。

そして独立宣言の直後、
独立戦争を勝利へと導いた、

まさにイスラエル建国の父なのです。

イスラエル建国から5年で
ベングリオンは首相を辞任し、

イスラエル南部のネゲブ砂漠に
移住しました。

ネゲブと言うのはヘブライ語
「乾燥する」と言う意味です。

ベングリオンの次の目標が、

イスラエルの国土の6割を占める
乾き切ったネゲブ砂漠の開拓でした。

建国して5年目のイスラエルは
多くの若者は住みやすい都会に
好んで住むようになっていましたが、

その状況を憂いたベングリオンは

「もし国家が砂漠を占領しなければ
砂漠が国家を占領してしまうだろう、

新しい国作りの成否は、
砂漠の開拓に掛かっている

砂漠の開拓こそユダヤ人に
託された使命である」

と訴えたのです。

ケネブ砂漠の開拓を目指す

そして自ら首相の座を辞し

砂漠の真ん中にある
スデーボケルと言う集団農場の
一農夫となりました。

リーダーに必要なのはビジョンです。

そしてそこに向かう姿勢なのです。

口だけ立派なことを言っても
誰もついてきません。

彼が首相官邸から去る際、
多くの人が別れを惜しみ泣いたのですが、

その人々にベングリオンは

「なぜ泣くのか?泣くくらいなら
私と一緒に南に来なさい」

と言います。

ネゲブ砂漠に移り住んで一年後ほど、

アラブ諸国からの挑発により、
国情が騒然となり、

政府から復帰の要請を受け、
国防大臣に就任し、

後に首相に復帰しますが、

しかしその間も、
砂漠にある家と国家のある
エルサレムとを往復し続けます。

そして1963年に再び首相を
辞任しネゲブ砂漠に戻ります。

その後の10年間、1973年に
87歳でなくなるまでそこで過ごします。

ベングリオンは死後、妻とともに埋葬され

1975年発行の旧500イスラエル・
リラ紙幣で肖像が使用されています。

今ネゲブ砂漠の真ん中に
ベングリオン夫妻の墓があり、

イスラエルで最も美しい
場所のひとつとなっています。

ユダヤ人をまとめるリーダーの資質


個性豊かなユダヤ人を
引っ張るリーダーというのは、
かなりの重責があるようです。

イスラエルでは良く知られた
ベングリオンの逸話があるそうです。

ユダヤ民族の二千年に及ぶ
離散から新しい国家を建国した頃、

ベングリオンとアメリカの
大統領の対話で、以下のような
会話がされたと言います。

建国して間もないイスラエルの
厳しい状況に対しての説明をしました。

ベングリオン:
「イスラエルは小さい国ですが、

今も周りが敵対する国に囲まれていて
戦争が耐えない状況です。

そして世界中から多くの
ユダヤ難民が帰還してきています。

またその帰還者たちは
世界各地からやってきており、

文化や習慣、そして言葉も
まったく異なるのです。

世界中から来てバラバラの
言語や習慣のユダヤ人が既に
300万人に達しており、

その状況は外圧なども含め、
非常に大きな問題になっています。」

アメリカ大統領:
「なるほど、、でも、

そう言った状況は私が取り組む
アメリカの国政に比べたら小さいです。

というのもアメリカにも各国から
移民がやってきており、

その数は300万どころか
2億人に上ります。」

ベングリオン:
「確かに大統領閣下、

あなたは2億人の市民を
抱えていますが、

私は300万人の首相を
抱えているようなものなのです。」

この対話がジョークか真実かは
わかりませんが、

個人個人が独立した意識を持つ
民族としての意識を持つユダヤ人、

個性の強いユダヤ民族を
まとめあげるリーダーの資質、

そしてそのリーダーがいかに
尊敬されているかが伺い知れる
エピソードと感じます。

勤勉で勉強熱心だったベングリオン

日本との関係について、ベングリオンは

日本とイスラエルが国交を
樹立した1952年に

「イスラエルと日本は
アジアの反対側に位置しています。

これらは関係を分かれさせるよりむしろ
結びつけるという事実でしょう。

アジアの広大な大陸は
日本とイスラエルの絆であり
アジアの運命についての意識は、

日本とイスラエルとが
共有している一般的な考えです」

と話しています。

ベングリオンは非常に
勉強熱心で、

常に読書を欠かさず
5、6カ国語を習得し、

人に教えたりもしました。

彼は、イザヤ書の

『荒れ地と乾いた土地や砂漠に
時が来たらきっと一面にサフランの
花が輝くように咲くだろう』

という神の預言が必ず
実現すると信じていました。

そして勤勉に働き続け

砂漠の開拓に一人で
出かけたのです。

この例も、

トーラーに書いてある事を深く学び、

その事が実現する事を
願いつつ生きていた

ユダヤ人の精神を代表する
ベンングリオンの生き方だったのです。

↓イスラエル建国の父ベングリオン

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