ドラッカーの考える経済学、資本主義とマルクス主義(全体主義)


今回のテーマは、

ドラッカーの考える経済学、
資本主義とマルクス主義(全体主義)

について紹介します。

経済学についての
ドラッカーの考えは大変
示唆に富んだものですが、

ドラッカーの言説には

ある事の本質は

有力なAでもなければ、
反対概念のBでもない。

正解は両者の中間、

もしくは両者を統合する型で
存在すると言う構造が多く見られます。

健康になるためには

西洋医学か東洋医学か

…と言う議論がありますが、

これも中間、或は統合したものが
恐らく正しい道と言えるでしょう。

包丁は料理にも使えるし
殺人にも使えます。

これを偏った視点だけで
捉えてしまえば、

本質を見る事はできません。

前回紹介した

「社会とは理念だけでも
効率だけでもなく、

両者のバランスが上手く取れた
ときに最も安定する」

と言う話しも
こう言った理念といえるでしょう。

同じく経済システムの

資本主義とマルクス主義(全体主義)の
考察についても同様で、

1939年に書かれた処女作
『経済の終わり-全体主義はなぜ生まれたのか』

と言う著作の中でもドラッカーは

経済活動における私的な
利益こそが人間に自由と平等を
もたらす最良の手段であるとした資本主義も

反対に、私的な利益を
否定することによって、

同じく自由で平等な社会の
実現を目指したマルクス主義も

いずれも破綻した事を
指摘しました。

経済学というのは直接的に
ビジネスと関係はないと思われる
かもしれませんが、

経済活動は我々の本質です。

その本質から考える事で
見えてくる世界も変わるはずです。

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経済人の概念が人間の本性

ドラッカーが考えたのは

「資本主義、マルクス主義のどちらも

『社会、人間の目的を
実現するものは経済活動である』

とする経済至上主義を基盤としており、

アダム・スミスのいう”経済人”の
概念が人間の本性である」

と考えていました。

今考えれば、当然と言う意見と
思われるかもしれませんが、

同書が書かれた時代では

第一次世界大戦やウォール街から
世界に広がった大恐慌などを通じて、

その経済至上主義の
破綻が明らかになり、

社会的秩序が崩れて

人々が不安や混乱に陥っていました。

そして、その混乱を収拾する
旧秩序に変わる新しい概念は
まだ発見されていませんでした。

ファシズムはまさにその歴史の
裂け目から生まれてきたと言うのが

ドラッカーの指摘する所ですが、

不況がなければヒトラーも
ドイツ国民に受け入れられることは
なかったと言えるでしょう。

まさにこれは正鵠を射た意見と言えます。

「ファシズムは資本主義やマルクス主義が
社会秩序の柱とした経済の優越性を否定して

非経済的な価値や社会的価値を
重視する脱経済社会を標榜したが故に、

経済至上主義に翻弄され、
絶望していた大衆の心をとらえた」

言います。

それは経済が行き詰まると
イデオロギーが勢いを増すと言う
歴史的な教訓なのです。

経済学の歴史を振り返れば、
そう言った事も見えてきます。

最近ではサブプライムローンを
発端としたリーマンショックによる
世界同時不況も

何かしらの時代の転換に
なったのでしょうか?

まだ分かりませんが、

人類にとって完璧な理想の
システムというのはないのかもしれません。

しかし発展をして行く事は
我々の努力次第でできるはずです。

脱経済でなく超経済

経済システムの融合や超えるという話は、

経済学だけを学んだ人からは
なかなか出て来ない発想かも知れません。

確かに、人間は経済を
営まざるを得ない動物です。

形を変えながら長い歴史上
常に経済活動を行ってきたのです。

資本主義経済やマルクス主義経済…

経済構造やシステムを
否定はしても、

経済活動そのものを
否定する事はあり得ません。

つまり「超経済」はあっても
「脱経済」はありえないのです。

そして豊かさや成長を求めるものです。

しかしその形は変わってくるはずです。

ドラッカーはこれをこう表現します。

「ヨーロッパ社会では『自由と平等』が
至上の価値であり、

それを現実社会で実現しようと
企ててきたのがヨーロッパの歴史である。

自由と平等を求める力は、
歴史の発展の原動力であり、

どの時代にも社会基盤の上に
ある範囲や分野の自由と平等が
存在してきた。

だから変動で社会基盤が崩壊すると、

自由と平等の範囲が拡大して、
次の新しいステージに入る。

このようにヨーロッパでは
過渡期を終えるたびに

宗教人、知性人、政治人、経済人

と言った新しい人間観が
登場して次なる社会を形成してきた。」

つまり

社会秩序の崩壊

混乱の過渡期

新秩序への再生

という

弁証法的な循環と継続性こそが
西洋の歴史の特徴なのです。

そしてそこには何の発展もない
スパイラルの螺旋の繰り返しでなく、

人類の知恵が少しずつでも発展し、
向上していると私は信じています。

その弁証法的ロジック、
歴史的事実から考えれば、

ドラッカーの言葉は
21世紀の日本の私たちにも
勇気を与えてくれます。

日本の混乱と停滞は、

決して行き詰まりではなく、

変化や再生への転換期だと
考えるべきかもしれません。

これからの未来はどうなるのか?

…それは誰にも分かりませんが、

次回、ドラッカーの考える
未来予測について

その考え方について探って行きましょう。

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