日本の相場師、山崎種二に学ぶ相場の神さまのお金と信用の教え


今回のテーマは、

日本の相場師、山崎種二に学ぶ
相場の神さまのお金と信用の教え

について紹介します。

明治26年、群馬県に生まれた

山崎種二は
まさに立志伝中の人物です。

祖父が生糸相場、長男や次男が
相場や事業に失敗して、

田畑屋敷から蔵まで
借金の抵当にとられ、

種二は貧窮の中で育ちます。

明治41年、高等小学校を
卒業すると同時に

わずか八十六銭を懐に東京に出た山崎は、

深川で回米問屋を営む
山崎繁次郎(父親の従兄)の
山繁商店の小僧として

商売人人生をスタートします。

仕事は掃除に始まり、
使い走り、俵担ぎに倉庫番と、

小僧としてお定まりのコースを歩み、
満16歳のころから主人のお供として
東北各地の農家を見て歩くことで、

後のコメ相場の下地を身につけています。

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日本の相場師、山崎種二の投資哲学

やがて山崎種二は
小僧を続けながら細々と米相場を
手がけるようになりますが、

「良くて差し引きトントン」

がその頃の成績でした。

修行時代を経て、
大正13年に独立した山崎は

古米を活用することで、
相場で30万円という大金を手にし、

以来仕出の一人として
認められ「山種」と呼ばれるようになります。

相場ではもっぱら
「売り」に徹した山崎には

彼独特の相場哲学がありました。

自伝の中で「売りに向かう」
理由を三つ挙げています。

「ひとつは小僧時代から
米の売りさばきに慣れていた。

二つ目な、ともかく買い占めが
嫌いなのだ。

主食の米を買い占め、
値段をつり上げて儲ける
やり方は我慢ならない。

三つ目は、買いで儲けるより
売りで儲ける方が値打ちがある。

米が値下がりすれば物価も下がり、
金に価値が上がるからだ」

山崎種二、相場の神様のお金の教え

こうして相場で成功した山崎は

山種証券の他に、
辰巳倉庫、山種米穀、山種不動産
など

10社の企業グループを形成します。

日本画のコレクターとして知られ、
昭和41年には山種美術館も
設立しています。

そんな山崎種二の商売の基本は、
派手な儲けを狙うよりも地味な
儲けを大切にするやり方でした。

大きく商売しようとすれば
大きな資金が必要になります。

そのためには信用が欠かせません。

山崎は毎月毎月コツコツと
預金を積み、

借りた金は必ず期日には
返すようにしました。

相場の儲けに比べて
銀行の利息などわずかなものです。

人によっては真面目に
お金をコツコツためるのは苦痛で
馬鹿らしいと考えますが、

山崎種二はマラソンと同じく
胸突き八丁を超えれば

「貯蓄マラソン」も楽になると信じました。

山崎にとって大切なのは
「いくら貯めたか」ではなく、

毎月毎月コツコツと貯金を続ける意志の強さや、

人並ならぬ努力こそ重要で、
その地道な姿勢こそが信用につながる
と考えました。

相場の神さまのお金と信用の教え

日本の相場師、
山崎種二の成功の裏には

お金と信用の教えがありました。

相場の世界はどれほど派手に儲けても、
たった一回の失敗ですべてが失う事もある、

「一夜成金」「一夜乞食」の世界です。

それだけに相場を張る人間が
銀行の信用を得るには、

辛抱強く、地道に積み立てる
努力が必要で、

借りたお金を必ず返すと言う
信頼が不可欠でした。

「儲けたお金には損が付いて回る、
貯めたお金には信用が付く」

と名言を残した山崎種二は

信用を気づき上げるには
己を律して日々努力をする
姿勢が欠かせないと考えました。

たとえわずかでも
預金を積んで行けば、

意志の強さ、実行力という点での
信用が付いてきます。

日本の相場師の巨頭、

山崎種二はこうして築きあげた
信用をバックに「相場の神さま」
へと成長をするのです。

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