三方よし、商社の走り近江商人の格言に学ぶ商才と商売の教え

三方よし、商社の走り近江商人の格言に学ぶ商才と商売の教え
今回のテーマは、

三方よし、商社の走り近江商人の
格言に学ぶ商才と商売の教え

について紹介します。

日本の商人を語る時、
近江商人のことを抜きには語れません。

江戸時代、
現在の滋賀県近江地方から
近江地方から広く他国へ行商に出かけ、

天秤棒一本で
商いをした人たちの事で、

現代で言う商社マンのような存在です。

近江商人の商法の格言、心得として

「信用、勤勉、始末(節約)、才覚(経営の知恵)」

と言うものがあります。

そんな近江商人は、

京や大阪の商品を
船や馬で地方に送り、

着替えや手形などの身の回り品を
天秤棒で担いで歩きまわり商売をしました。

そして帰りにはその地方の品を
京や大坂に送っては
利ざやを稼いでいます。

幕末になるとさらに
活動範囲が広がって、

江戸に品物を集荷しては
広く関東から東北地方まで
商売をしたといます。

近江地方からは、

西武グループを作った堤康二郎や、

伊藤忠商事の祖、伊藤忠兵衛をはじめ

多くの大商人を排出しています。

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三方よし、近江商人の格言に学ぶ商売の教え

彼らが商人として名をあげたのは

「交通の便利な地域は通らない。
道の険しい所を選んで商売する」

と言う点があります。

江戸時代に交通の発達していた
東海道地方は既に経済発展していました。

そう言う所に近江商人は出て行かず、

むしろ、山道の険しい中山道を選びます。

「そんな淋しい所に、客などいるものか」

と東海道方面で商売をする
商人たちはあざ笑います。

しかし近江商人には違った
商才、考えがあったのです。

それは、

「山里の淋しい所で行きている人々に、
必要な品物を届けると同時に、
情報も届けるのだ」

という考え方でした。

山間の里に住む人々は
ほとんど情報から隔絶されています。

「都でどんなことが起きていて、
どんな暮らしをしているのか」

というのは、テレビもネットもない時代
最大の関心事です。

近江商人たちはそれを伝え
商売をする事で、利益を上げます。

そこで、近江商人たちは
正確に情報を伝えます。

いい加減なガセネタやほら話では
たちまち信用を失います。

同時にまた売る品物も
上質なものにこだわります。

「二度とこんな淋しい所に来ないから」

という儲け主義だけで行動していたら、
その事が口コミよって里から里に伝えられ

「近江商人は悪人だから、
絶対に物を買うな」

という合意ができてしまう事を
知っていたのです。

だからこそ近江商人の商法のそこに、

「自分も利益を得るが、
お客も利益を得る」

という近江商人独特の

「自利、他利の精神」

それによって社会が豊かになる

「三方よし」という考え方なのです。

商社の走り近江商人・松井遊見の格言に学ぶ

松井遊見という五箇荘に
拠点を持った近江商人がいます。

当時彼の商標は「トンボ印」と
呼ばれていました。

一本の棒の両脇に点が
二つついており、

これがトンボのように見えた為です。

しかし遊見に言わせれば

「この点はトンボの目でなく星」

という事です。

つまり

「朝、星がまだ消えないうちに
商売に出て、夜、星が出たら戻る」

という勤勉ぶりを示すものでした。

歳をとり成功してからの遊見の
「地域への利益還元」は
非常に有名で

地元では「遊見様はまるで生き仏だ」

と言われるほど慕われており、
彼が死んだとき、

何千人もの人が葬式に来たと言います。

若い時の、遊見は天秤棒一本化担いで
各地に行商に出る、

商社のような商売をしていました。

そこで徹底したのは、

星の勤勉さと「のこぎり商売」
という近江商人特有の商法でした。

のこぎりというのは押すだけでなく
引いて木材を削ります。

近江商人の商法も同じく、

「ただ、こちらから物を売るだけでなく、
相手先からも買って戻ってくる」

というものでした。

他の地域の商人たちは

「こっちから持って
行ったものが売れれば良い」

と考えており、売ったものの
代金の多さにより満足度を決めていました。

ところが近江商人は、

「こちらの品物を売り、
相手の品物を購入する」

という方法をとり、

そして勝ってきた品物を
上方で売りさばくというもので、

「目先の利益追求より
トータルで利益を上げれば良い」

という考え方だったのです。

こうした「自利、利他」の
三方よしの考えを徹底し、

遊見は成功したのですが、

こうした近江商人に対する
「信用」を生んで行き、

日本中に近江商人の評判を
あげて行ったという訳です。

近江商人の格言に学ぶ商才と商売の運

同じく近江商人で江戸時代苦労して育ち、
その商才と努力で大商人となった

中井源左衛門がと言う人がいます。

彼は成功したことを
運が良かったと言われるのを非常に嫌っており、

金持ちの家に生まれ、
苦労を知らない子孫を心配して書き残した
戒めの言葉の中で、

自分が成功したのは
ひとえに日々の努力の結果で、

決して運のせいではないと
強く言いきっています。

この世の中で起こる事は、
すべてが原因と結果の関係にあります。

馬券だって買わなければ当たりませんし、

株も換金しないとおかねは入りません。

お金が向こうから
ドアをノックしてくるわけではありません。

道に落ちている大金も
外出してその場を通りかからなければ
拾えないのです。

運が向こうからやってくるのではありません。

「運も才能の内」と言う言葉もあるように、
運を招き入れるのも努力の結果なのです。

源左衛門をはじめ
近江商人の初代の多くは、

皆天秤一本を肩に
他国へ商いに出かけ苦労しています。

彼らが大富豪として名を残せたのも、
すべては彼らが流した汗の結果なのです。

七福神は
決して怠け者の所には
訪ねてこないことを

近江商人はよく知っていたのです。

だから運などと言う言葉は
インチキ霊能力者に任せて、

実際にお金持ちになるためには
ひたすら努力してお金持ちになるのです。

仕事のやり方、商売人のあり方など

近江商人の格言から多くの事を
学ぶ事ができます。

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