ジョン・レノンはなぜ天才的な音楽の才能を開花できたのか?


今回のテーマは、

ジョン・レノンはなぜ天才的な
音楽の才能を開花できたのか?

について紹介します。

ビートルズの中心メンバーであり、

解散後は奥さんの
オノヨーコさんと共に、

愛と平和を世界に訴え続けた

世界で最も有名な
シンガーソングライター

それがジョンレノンさんです。

「心を開いて”イエス”と言ってごらん。
全てを肯定してみるとこたえが見つかるもんだよ」

これはレノンさんの言葉ですが、

意志を持ち、勇気を持ち、
日常に目を向けて、心を開く

そうすれば人生は開けるものです。

ここでもうひとつジョンレノンの言葉を

「君はどこにでも行けるのに、
どうしてそんな所にとどまっているだい?」

彼の人生を振り返り
いかに我々は才能を開花できるのか?

探ってみましょう。

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ジョンレノンと音楽の出会い

歌で世界を変えたジョン・レノン、

彼が世界中から愛された
「才能の源泉」はどこにあるのでしょう。

ジョン・レノンは
1940年10月9日、

第二次世界大戦中、ナチスドイツによる
空襲にさらされたリバプールで生まれました。

出世時、父であるアルフレッドは
航海に出かけ不在、

母、ジュリアも他の男性と同棲していたため、
母が他の伯母夫婦のもとで育てられます。

彼は崩壊した家庭で育ち、
居場所が定まらない孤独な魂を抱えた少年でした。

そんな彼の転機になったのが
ロックンロールとの出会い、

1936年、エルヴィス・プレスリーの
「ハートブレイクホテル」を聞き、

ロックの洗礼を受けます。

そこで聴いた曲が「ハートブレイク(傷心)」
というのは決して偶然ではないでしょう。

この歌は、恋人に捨てられた男の孤独を
ロックンロールで歌った曲です。

少年期の思いから
「自分を守ってくれる確かなものがない」

そんな心の傷を抱えていたレノンにとって、
人生や社会に立ち向かうパワーを
与えてくれたのが、

ロックだったのでしょう。

ジョン・レノンがロックに出会った
一年前の1955年

アメリカではジェームズ・ディーンの映画
『理由なき反抗』が若者の間で大ブレイクします。

当時は、こうした空気感が
イギリスやアメリカなど
先進国を覆っていました。

ポールとの出会い、そしてビートルズの結成

その頃、母親が近くに
住んでいる事を知ったレノンは、

母親の家に行き来するようになり、

母親から撥弦(はつげん)楽器
「バンジョー」を教えてもらい、

音楽の世界にのめり込むようになります。

興味深いのは「バンジョー」という楽器は、

アフリカ系アメリカ人が
故郷のアフリカのいくつかの楽器の
特徴を取り入れて生み出した楽器です。

この楽器を持っていた
ジョン・レノンの母親も、

家族や故郷に飢えていた女性
だったのかもしれません。

しかし、1958年7月15日

母親は車にはねられて死亡してしまいます。

この経験が、ジョン・レノン14歳の時です。

既に母親を乳がんで亡くしていた
ポール・マッカートニーとの結び付くにつながります。

二人は母親を喪失した悲しみでつながった
親友だったのです。

そして「ザ・ビートルズ」を結成し、
彼らはロックの世界を席巻しました。

ビートルズ成功の秘密はハンブルグにある?

ビートルズは世界を席巻し、

何ものにも左右されず自分たちの
音楽を作り成功して行ったように見えます。

しかし才能を開花するのに、
オリジナル100%というのはありません。

ビートルズは、レコードデビューする前、

ハンブルグで修業時代を
経験しています。

歓楽街の、トイレも洗面所もない
大部屋に詰め込まれて、

ストリップのショウタイムの後に、

長時間のライブ演奏を強いられ、

それがビートルズのプロとしての
スタートだったのです。

後に世界トップに君臨するバンドも、

始めはプライドを散々挫かれるほど
惨めな契約からの始動だったのです。

そしてそこで演奏したのは
幅広いジャンルのカバー曲だった
と言われています。

これはマルコム・グラッドウェルさんの著書
「天才! 成功する人々の法則」

で有名になったものですが、

一流・天才と呼ばれる人は、
例外なく1万時間の練習している、

というものですが、

ジョン・レノン、そしてビートルズは
その天才的な音楽の才能を開花したのは、

こうした土壌があったのです。

なぜ天才的な音楽の才能を開花できたのか?

こうしたタフで荒くれた
雰囲気の環境で寝る暇もなく

ストリップ目当てにやってくる
お客さんを相手に演奏を続けたのです。

様々なカバーの演奏をしながら、
音楽を自分たちの中に吸収し、

徐々に自分たちの演奏スタイルを
確立して行ったのです。

この時期の事をジョン・レノンは

「僕を育ててくれたのは、
リヴァプールではなくハンブルグだ」

と語ったそうです。

ポールマッカートニーも

「ハンブルグが僕らを大きく変えた」

と述べています。

ちなみに、ハンブルグの地で
ビートルズから

スチュアート・サトクリフ
ピート・ベスト

は脱退します。

様々な出会いと分かれ、
偏見と闘いながら、

成功への活力を燃やし
成功への階段を上って行きます。

一般からはスターの栄光の
部分しか見えないものですが、

特にジョン・レノンのイメージは
他の華やかな部分に注目が集まります。

しかし彼がなぜ天才的な
音楽の才能を開花できたのか?

その部分を探ってみると、

修業時代に秘密があるのではないでしょうか。

修業時代の葛藤を見ると、
新しい認識が生まれるものです。

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